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[ 令和元年10月17日(金)、いわき市は川窪地区にてボランティア。先般の台風19号で被災した、知る限り一番酷い状況にあるのがココである。いわきはご縁があり、2016年に秘書をしていた頃の先生の地元である。FBでみる限り、その見知りする町の一部が見る跡形もなく変形し、そしてお世話になった知人の家が水没していた。4日経ち、流石に水は引いていたが、家財道具のほぼ全てと母屋が泥まみれになり、壊滅していた。生きている限り初の出来事であったそうな。僕らに出来る事は、ゴミと化してしまった生活の思い出の品々を破棄する事と、泥を掻くことだけであった。ママ曰く、堤防が複数箇所で決壊し、前から後ろから、あっという間に濁流に呑み込まれたそうな。1Fでプカプカ浮いている仏壇のご位牌を取りにゆく事がやっとで、それでさえギリギリだったとの事。床上180センチ、1Fが壊滅。4日経つ今でさえ目線の上にタニシが残っている。写真は、泥まみれの休憩、それでも白いおにぎりと唐揚げが嬉しかった休憩の一時。 ]

令和元年10月17日(金)、いわき市は川窪地区にてボランティア。先般の台風19号で被災した、知る限り一番酷い状況にあるのがココである。いわきはご縁があり、2016年に秘書をしていた頃の先生の地元である。FBでみる限り、その見知りする町の一部が見る跡形もなく変形し、そしてお世話になった知人の家が水没していた。4日経ち、流石に水は引いていたが、家財道具のほぼ全てと母屋が泥まみれになり、壊滅していた。生きている限り初の出来事であったそうな。僕らに出来る事は、ゴミと化してしまった生活の思い出の品々を破棄する事と、泥を掻くことだけであった。ママ曰く、堤防が複数箇所で決壊し、前から後ろから、あっという間に濁流に呑み込まれたそうな。1Fでプカプカ浮いている仏壇のご位牌を取りにゆく事がやっとで、それでさえギリギリだったとの事。床上180センチ、1Fが壊滅。4日経つ今でさえ目線の上にタニシが残っている。写真は、泥まみれの休憩、それでも白いおにぎりと唐揚げが嬉しかった休憩の一時。

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