岸大介の“想い”
私のこれまでの半生は東京目黒を離れる期間が長く、地元を顧みる機会は殆どありませんでした。20代や30代の頃は多くの若者同様に、漠然とした夢や理想に向けてガムシャラであったものです。しかし、当然の事ながらその間に近親者は他界し、両親は老い、背負うべき物事が増えてゆきました。齢四十半ばを迎え、故郷でない土地で単身赴任生活をしながら想ったことは、およそ残り半生の時間をどの様に使うかということでした。急速に変革するこの時世の中でも、自治体や先祖から受け継いだ地域を守り、可能な限り故郷の継続性を維持し、次の世代に繋げてゆきたい。この様に思う使命感が政治活動への原点となりました。
現在の日本は、過去に類を見ない急速な少子高齢社会を迎え、100年後の人口は4300万人とも推測(内閣府)されています。国と地方を合わせて1100兆円もの借金を抱え、我々1世帯あたりにして2300万円もの債務を強制的に抱えさせられています。
このように、過去のツケとして現在に突き付けられている不都合の象徴が人口減少と財政と環境ですが、では今を生きる我々世代は何とすべきなのでしょうか。次世代にツケを押し付ける風潮から、未来に夢や希望を描き、みんなで前進、或いは成熟していくことが出来る社会へと、生き方・あり方の転換をしなければならないはずです。そのためには、一般生活者である私達が、政治や行政へ積極的に参加することが何よりも大事なのではないかと思うのです。
目黒区に目を移せば、住宅地でありつつも町は発展し、社会インフラが整い、交通事情も良く、都内でも屈指の犯罪発生率の低さを誇ります。ですが、当たり前に思える“普通”の影では、幼児や高齢者への虐待(死)、身体や心の病気、ハラスメントが原因の職場環境からの疎外等、社会的弱者へのしわ寄せが起こっています。或いは、そのような“闇”を常に内包しています。たとえこの瞬間は健常な日常生活を送っていたとしても、会社の都合や育児・介護離職等、予期せぬ出来事が発端となって軌道から外れ、人生設計を狂わすことが、いとも簡単に起こりうるのです。そして、そのリスクに対する社会的セーフティーネットさえ不十分のままであるというのが、生活者の実情ではないでしょうか。
「自分の居場所のある社会、必ずしも一億総活躍しなくても許される社会。」
21世紀になった頃からか“自己責任”という言葉が独り歩きしてきたように思います。その一見すると美名とも受け取れる言葉で、“普通”から外れた生き方を選んだ或いは、選ばざるをえなかった人々の立場を社会が追い詰めるという様相に、私は違和感を禁じえません。本来であれば社会全体で負うべき部分もあろう責任を「自己責任」という軽い言葉で100%個人に押し付けたのは、政治の無責任な体質の現れだったのではないでしょうか?「自由化、規制緩和、新自由主義、人生色々発言」等々で得をしたのは、そもそも誰だったのでしょうか。それは、誰も責任を取らない、取らなくても良かったこれまでの政治とその取り巻き、その時々のリーダー達であったに他なりません。
誰もが安心して暮らせる居場所があり、多様性と不都合さえ包容しうる地域へ、深く成熟した地域環境を整えてゆく。それが21世紀に目黒区が目指す姿なのではないかと私は考えます。個人の努力だけではどうしようもない状況に陥った時、制度のはざまにこぼれ落ち身動きが取れなくなった時、追い詰められる前に手を差し伸べてくれるのが本来の政治の姿です。私の残りの半生は、社会の“無責任”と闘い、区民の側に立脚しながら、当事者等と連携しながら政策提言につなげてゆくことが使命であると考え、今日もこの街を歩いて参ります。