令和元年8月22日、三重県議会より我が目黒区に視察訪問団が訪れた。よく我々が行く視察を目黒区側が受ける形であった。思い出したくもないが、忘れてはならない、昨年3月に目黒幼女虐待死事件で5歳の女児がパパとママに反省文を残して他界された事件が起きたのは、我が町目黒であった。引っ越したての家族の情報を自治体間や児童相談所間で上手く共有出来ず、事の深刻さを把握しきれずに1人の子を救う事が出来なかったという事実を、今を生きる大人の我々は忘れてはならない。三重県議会が視察のひとつのテーマとしたのは、正にその社会的に衝撃を残した事実の後に我が町目黒が何を対策としたのかという事であった。県議の方々からの聞き取りでは、関係所管当局との連携を図るとのせつめいだけで、全然進んでないとの印象であったそうな。。帰りがけに「これなら、今度は目黒の議員が視察に三重に来るべきだわ!」とまで言われてしまった。俺は直接その所管委員会に所属している訳ではなかったが、虚しさがしばらく残ってしまった。この事は目黒が率先してやらねばいけないはずの事にも関わらずだ。日々の忙しさにかまけて人任せになっていた自分を反省した。三重県議団が帰る時、何だか寂しそうであった。写真は三重県副議長の北川さん。実は去年の今頃まで俺は三重県に単身赴任しており、県議を辞職した彼が名張市長選挙に出馬して、ずっと随行していた古い関係の正にその人が来目黒したものだから、嬉しくて。。ピンクのポロシャツは正にその痛い負けた選挙の時のユニホーム️(笑)。秘書時代に一緒に仕事した仲間との再会と同じく趣深い一時を味わった。
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