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[ 令和元年11月5日㈫@西新宿の雑居ビル 「プラスチックごみ減少施策と海洋汚染対策、更なるプラスチックリサイクルを推進させる!」との問題意識をもって日ごろの活動をしている。今日は、同じ議会で活動している同僚議員の一人が主催をする形で勉強会に参加させてもらった。環境とかとか汚染とか、気候変動とかいうとどうも国の仕事で自治体とか自治体議員の入り込む余地は無い的なイメージで、とっかかりを持つのが難しいと感じていたがEBPM( Evidence Based Policy Making 証拠に基づく政策立案)がテーマであるという事で興味深く講義を拝聴した。どうしてもマイクロプラスチックというと海洋生物の腹の中から出てくるビニールバックだとか波打ち際に漂うコーヒー屋のストロー等を思い浮かべがちで、先進国よりむしろ発展途上国のごみ問題の方が大きいと思ってしまいがちではあった。しかし、講義を聞いて太平洋沿岸諸国で日本よりもプラスチックを消費している国は日本以外にはなく、我々日本人がというより生活者としてこの問題は意識しなければならない事と思うに至った。根拠を持った政策立案とは難しいものの、要は何となくとか感情だけで流されてしまってはいけないという事である。日本の河川から出るごみにしても、しかるべき方法を取って計測する事。例えば下水処理場の上流と下流で統計を取れば、その処理場が始発になるゴミの種類や量を割り出せるわけである。恐らく、目黒を含む先進国日本の都心から海に流れ出すプラスチックごみの25パーセント程度が使い古されたちぎれた人工芝の破片である事が分かった訳で、どうやらその芝はについて小中学校や運動場から側溝を通って移動してきたものであるとの事を突き止められている。凄い!地方はプラスチックコーティングした稲作用肥料のコーティング剤のカスが玉砂利の様に流れ出すという事実も突き止められつつある。こういった事を明確にするだけで、そもそも技術革新で作られた汚染源を批判される事であるし、それを製造している企業との政治的葛藤が始まってしまう事が環境問題の難しい所である。もとい、気候変動の次位に海洋汚染の問題は我々人類に突き付けられた不都合なる真実である。主張のできない未来の子供達にどの様に我々が責任を持ちうるのか、、これから我々世代が主張してゆく、我々の生き方そのものが直接子供たちに影響を及ぼしてしまう事実に、生き方選択そのものが問われている恐怖を感じた。 ]

令和元年11月5日㈫@西新宿の雑居ビル 「プラスチックごみ減少施策と海洋汚染対策、更なるプラスチックリサイクルを推進させる!」との問題意識をもって日ごろの活動をしている。今日は、同じ議会で活動している同僚議員の一人が主催をする形で勉強会に参加させてもらった。環境とかとか汚染とか、気候変動とかいうとどうも国の仕事で自治体とか自治体議員の入り込む余地は無い的なイメージで、とっかかりを持つのが難しいと感じていたがEBPM( Evidence Based Policy Making 証拠に基づく政策立案)がテーマであるという事で興味深く講義を拝聴した。どうしてもマイクロプラスチックというと海洋生物の腹の中から出てくるビニールバックだとか波打ち際に漂うコーヒー屋のストロー等を思い浮かべがちで、先進国よりむしろ発展途上国のごみ問題の方が大きいと思ってしまいがちではあった。しかし、講義を聞いて太平洋沿岸諸国で日本よりもプラスチックを消費している国は日本以外にはなく、我々日本人がというより生活者としてこの問題は意識しなければならない事と思うに至った。根拠を持った政策立案とは難しいものの、要は何となくとか感情だけで流されてしまってはいけないという事である。日本の河川から出るごみにしても、しかるべき方法を取って計測する事。例えば下水処理場の上流と下流で統計を取れば、その処理場が始発になるゴミの種類や量を割り出せるわけである。恐らく、目黒を含む先進国日本の都心から海に流れ出すプラスチックごみの25パーセント程度が使い古されたちぎれた人工芝の破片である事が分かった訳で、どうやらその芝はについて小中学校や運動場から側溝を通って移動してきたものであるとの事を突き止められている。凄い!地方はプラスチックコーティングした稲作用肥料のコーティング剤のカスが玉砂利の様に流れ出すという事実も突き止められつつある。こういった事を明確にするだけで、そもそも技術革新で作られた汚染源を批判される事であるし、それを製造している企業との政治的葛藤が始まってしまう事が環境問題の難しい所である。もとい、気候変動の次位に海洋汚染の問題は我々人類に突き付けられた不都合なる真実である。主張のできない未来の子供達にどの様に我々が責任を持ちうるのか、、これから我々世代が主張してゆく、我々の生き方そのものが直接子供たちに影響を及ぼしてしまう事実に、生き方選択そのものが問われている恐怖を感じた。

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