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[ 【※大金星※】沖縄県平和記念公園にある「平和の礎」に刻銘のある、東京都出身者3521名のうちの本区出身者数を、先般の一般質問を機会に問うた所である。しかし、・本区所管に問い合わせても、議場で一般質問をしても、不明。・情報公開請求を沖縄県に求めても、結果は開示できない。・大臣出身者事務所を経由して調査依頼してもも不明。との事であった。 古い記録だし、そもそも戦災で消滅してしまっているのかもしれない。。遺骨の数の話だし、半ば諦めかけていた。しかし、、ウチの所管は諦めていなかった!!岸の質問が一般質問が終わっても、目黒区健康福祉部 生活福祉課長の名前で、何度も東京都に依頼をかけていたのだった。 本日令和4年9月12日、これまでブラックボックスの中で手の届かないものであると思われていた内容が公開された。尚、情報公開に関しては目黒だけでない、恐らく全ての自治体で同様の動きにつながると思われる。18歳2名21歳4名22歳3名24歳9名25歳6名26歳1名28歳1名29歳2名30歳2名32歳1名33歳4名34歳3名35歳1名36歳2名37歳1名都保管資料では判明しなかった方9名計57名これは単なる戦死者の数字という事ではない。単なる戦災犠牲者数にしてはいけない。戦後総括がまた1歩前進したことに他ならない。本区から沖縄戦に出征なされた方の名誉の回復、1945年6月23日に旧日本軍の組織的抵抗が出来なくなるまでの歴史の側面として、明確に記録される事。その価値は、改めてその輪郭が薄ぼんやりながらも、明確になった事にある。課長、その粘りに感謝ありがとうございました!!※77年も経ってこれまで、なぜ都がその数字を公表してこなかったのか、、そこには疑念が残る。※もう一つ、この数字に旧海軍に所属する戦死者数は含まれていない。 ]

【※大金星※】沖縄県平和記念公園にある「平和の礎」に刻銘のある、東京都出身者3521名のうちの本区出身者数を、先般の一般質問を機会に問うた所である。しかし、・本区所管に問い合わせても、議場で一般質問をしても、不明。・情報公開請求を沖縄県に求めても、結果は開示できない。・大臣出身者事務所を経由して調査依頼してもも不明。との事であった。 古い記録だし、そもそも戦災で消滅してしまっているのかもしれない。。遺骨の数の話だし、半ば諦めかけていた。しかし、、ウチの所管は諦めていなかった!!岸の質問が一般質問が終わっても、目黒区健康福祉部 生活福祉課長の名前で、何度も東京都に依頼をかけていたのだった。 本日令和4年9月12日、これまでブラックボックスの中で手の届かないものであると思われていた内容が公開された。尚、情報公開に関しては目黒だけでない、恐らく全ての自治体で同様の動きにつながると思われる。18歳2名21歳4名22歳3名24歳9名25歳6名26歳1名28歳1名29歳2名30歳2名32歳1名33歳4名34歳3名35歳1名36歳2名37歳1名都保管資料では判明しなかった方9名計57名これは単なる戦死者の数字という事ではない。単なる戦災犠牲者数にしてはいけない。戦後総括がまた1歩前進したことに他ならない。本区から沖縄戦に出征なされた方の名誉の回復、1945年6月23日に旧日本軍の組織的抵抗が出来なくなるまでの歴史の側面として、明確に記録される事。その価値は、改めてその輪郭が薄ぼんやりながらも、明確になった事にある。課長、その粘りに感謝ありがとうございました!!※77年も経ってこれまで、なぜ都がその数字を公表してこなかったのか、、そこには疑念が残る。※もう一つ、この数字に旧海軍に所属する戦死者数は含まれていない。
[ 【※大金星※】沖縄県平和記念公園にある「平和の礎」に刻銘のある、東京都出身者3521名のうちの本区出身者数を、先般の一般質問を機会に問うた所である。しかし、・本区所管に問い合わせても、議場で一般質問をしても、不明。・情報公開請求を沖縄県に求めても、結果は開示できない。・大臣出身者事務所を経由して調査依頼してもも不明。との事であった。 古い記録だし、そもそも戦災で消滅してしまっているのかもしれない。。遺骨の数の話だし、半ば諦めかけていた。しかし、、ウチの所管は諦めていなかった!!岸の質問が一般質問が終わっても、目黒区健康福祉部 生活福祉課長の名前で、何度も東京都に依頼をかけていたのだった。 本日令和4年9月12日、これまでブラックボックスの中で手の届かないものであると思われていた内容が公開された。尚、情報公開に関しては目黒だけでない、恐らく全ての自治体で同様の動きにつながると思われる。18歳2名21歳4名22歳3名24歳9名25歳6名26歳1名28歳1名29歳2名30歳2名32歳1名33歳4名34歳3名35歳1名36歳2名37歳1名都保管資料では判明しなかった方9名計57名これは単なる戦死者の数字という事ではない。単なる戦災犠牲者数にしてはいけない。戦後総括がまた1歩前進したことに他ならない。本区から沖縄戦に出征なされた方の名誉の回復、1945年6月23日に旧日本軍の組織的抵抗が出来なくなるまでの歴史の側面として、明確に記録される事。その価値は、改めてその輪郭が薄ぼんやりながらも、明確になった事にある。課長、その粘りに感謝ありがとうございました!!※77年も経ってこれまで、なぜ都がその数字を公表してこなかったのか、、そこには疑念が残る。※もう一つ、この数字に旧海軍に所属する戦死者数は含まれていない。 ]

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