ブログ

[ 【追悼 東京大空襲(東京都平和の日)】78年前の今日、東京大空襲がありました。多くの目黒区民もその犠牲者となりました。78年後の今日、はじめて区総合庁舎に半旗が揚がり、議会に弔旗が揚がります。14時には庁舎・議会でも黙とうが行われます。 「自然災害や、大きな歴史的な大義の中で、不特定多数の目黒区民が不幸にも犠牲になった事象の追悼の象徴としては、我々基礎自治体たる行政・議会が率先して、この場に今暮らしている区民に対して、その歴史的意義を伝え、将来にわたって啓発してゆかなければならない。今を生きる、公たる我々が率先してやらないで、誰がそれを行うことができるのか?歴史の1ページとして眠らせて仕舞いかねないロスは、本当に正しい判断なのであろうか?」(岸大介議会議事録より) 半旗・弔旗掲揚は1年かけて、全力でやりました。時代もありました。タイミングもありました。役職者の理解もありました。様々なサポートもありました。何より、支援してくださる方々がいらっしゃった。 財政も、予算も決算も関係ない。議事・議案とは程遠い。だけど、とても重いものものがそこには在りました。 本日、1つの想いが結実しました。今は亡きあの時代を生きぬいた祖父母達と、今を生きる区民の皆様への報告マデ。令和5年3月10日目黒区議会議員 岸大介 ]

【追悼 東京大空襲(東京都平和の日)】78年前の今日、東京大空襲がありました。多くの目黒区民もその犠牲者となりました。78年後の今日、はじめて区総合庁舎に半旗が揚がり、議会に弔旗が揚がります。14時には庁舎・議会でも黙とうが行われます。 「自然災害や、大きな歴史的な大義の中で、不特定多数の目黒区民が不幸にも犠牲になった事象の追悼の象徴としては、我々基礎自治体たる行政・議会が率先して、この場に今暮らしている区民に対して、その歴史的意義を伝え、将来にわたって啓発してゆかなければならない。今を生きる、公たる我々が率先してやらないで、誰がそれを行うことができるのか?歴史の1ページとして眠らせて仕舞いかねないロスは、本当に正しい判断なのであろうか?」(岸大介議会議事録より) 半旗・弔旗掲揚は1年かけて、全力でやりました。時代もありました。タイミングもありました。役職者の理解もありました。様々なサポートもありました。何より、支援してくださる方々がいらっしゃった。 財政も、予算も決算も関係ない。議事・議案とは程遠い。だけど、とても重いものものがそこには在りました。 本日、1つの想いが結実しました。今は亡きあの時代を生きぬいた祖父母達と、今を生きる区民の皆様への報告マデ。令和5年3月10日目黒区議会議員 岸大介
[ 【追悼 東京大空襲(東京都平和の日)】78年前の今日、東京大空襲がありました。多くの目黒区民もその犠牲者となりました。78年後の今日、はじめて区総合庁舎に半旗が揚がり、議会に弔旗が揚がります。14時には庁舎・議会でも黙とうが行われます。 「自然災害や、大きな歴史的な大義の中で、不特定多数の目黒区民が不幸にも犠牲になった事象の追悼の象徴としては、我々基礎自治体たる行政・議会が率先して、この場に今暮らしている区民に対して、その歴史的意義を伝え、将来にわたって啓発してゆかなければならない。今を生きる、公たる我々が率先してやらないで、誰がそれを行うことができるのか?歴史の1ページとして眠らせて仕舞いかねないロスは、本当に正しい判断なのであろうか?」(岸大介議会議事録より) 半旗・弔旗掲揚は1年かけて、全力でやりました。時代もありました。タイミングもありました。役職者の理解もありました。様々なサポートもありました。何より、支援してくださる方々がいらっしゃった。 財政も、予算も決算も関係ない。議事・議案とは程遠い。だけど、とても重いものものがそこには在りました。 本日、1つの想いが結実しました。今は亡きあの時代を生きぬいた祖父母達と、今を生きる区民の皆様への報告マデ。令和5年3月10日目黒区議会議員 岸大介 ]

PAGE TOP